生命保険や火災保険は、日常生活で起こる様々なリスクに備える手段の一つの保険ですが、この保険はどのように日本で広まったのでしょうか。
今回は、日本の保険について歴史的観点から研究をされている近畿大学の稲葉教授に保険が日本でどのように普及したのか、また明治時代に用いられていたファイアマークについてお話を伺いました。
監修者からひとこと 1998年に明治大学大学院商学研究科博士後期課程単位取得後退学。1998年より近畿大学商経学部商学科講師。2007年から近畿大学経営学部商学科准教授を経て、現在近畿大学経営学部商学科教授。日本保険学会に所属。
【所有資格】
博士(商学)
【専門分野】
保険論
【著書】
『『朧月夜』と保険』(商経学叢、2023年3月 単著)
『明治期の演劇に描かれた保険』(商経学叢、2021年12月 単著)
『ファイアマークと東洋火災』(商経学叢、2019年3月 単著)
『町並みとファイアマーク―近江八幡と川越―』(商経学叢、2017年12月 単著)
『保険の文化史』(晃洋書房、2008年1月 単著)
現在の研究を始めたきっかけ
編集部 鎌田
本日はお時間いただきありがとうございます。さっそくですが、稲葉教授が保険を研究しようと思われたきっかけを教えてください。
稲葉 浩幸
学生時代に入ったゼミが保険を扱っており、そこから興味を持つようになりました。
編集部 鎌田
現在は、保険の歴史やファイアマークを中心に研究をされているのでしょうか?
稲葉 浩幸
はい、学生時代のゼミから大学院に進み、最初は保険についての実証研究を行っていましたが、徐々に保険の歴史について興味を抱くようになりました。またファイアマークは、防災トレーニングセンターに見学へ行った時にファイアマークを見かけたことがきっかけで興味を持つようになりましたね。
稲葉 浩幸
現在日本で普及している近代的な保険というのは、明治時代に欧米諸国から輸入されてきたものですが、ファイアマークも同じく一緒に輸入されているのではないかと考え、研究に至りました。
稲葉 浩幸
また、大学時代に企業を評価する場合には数値化できない部分がたくさんあることを学びました。その数値化できない部分についての経営分析として、企業小説があることを知り、保険が取り上げられている小説を研究するようにもなりました。
編集部 鎌田
数値だけでなく、小説などの文化的な背景からも研究を進められたのですね。
保険は日本でどのように広まってきた?
今回のテーマである、日本でどのように保険は広まってきたのか、保険の歴史について稲葉教授に伺いました。
元々、保険のような仕組みは日本にあった?
編集部 鎌田
日本で現在のような保険の考え方が広まる前に、元々日本には保険に類似したシステムは存在していたのでしょうか?
稲葉 浩幸
実は、江戸時代に「無尽講」や「頼母子講」といったいわゆる組合制度がありました。これは現代の保険に似ており、組合員がお金を出し合い、生活に困窮していた人を助け合うような仕組みでした。
編集部 鎌田
これらの組合制度と現代の保険で異なる点はありますか?
稲葉 浩幸
異なる点としては、たまったお金を生活に困窮していた人だけでなく、くじで当たった人が受け取れるような仕組みがあった点ですね。
編集部 鎌田
くじで決められていたのですか……。それは驚きです。
稲葉 浩幸
それに比べて現代の保険は、大数の法則や生命表によって事故の発生確率が計算され、それらをもとに保険料が決まっていく保険数理が適用されています。こういった点から、「無尽講」や「頼母子講」は保険数理に基づかないため、近代的な保険とはみなされていないのです。
編集部 鎌田
確かに、現代の保険では、くじで決めるというのはありえないですね。
海外から持ち込まれた「保険」
編集部 鎌田
保険は日本でどのように普及してきたのでしょうか?
稲葉 浩幸
明治時代に入り、福沢諭吉によって欧米から保険の考え方が持ち込まれたことが日本の保険の始まりでした。
編集部 鎌田
当時、保険の考え方は国民に理解してもらえたのでしょうか?
稲葉 浩幸
それが、最初はなかなか難しかったのです。例えば、一番最初に作られた生命保険会社は「明治生命保険」ですが、当時の人はこれを「明治生まれ命の保険」と読み、加入すれば命や寿命を保証してもらえると勘違いすることがありました。
編集部 鎌田
確かに、読めなくもないですね(笑)では、保険の考え方が広く理解されるようになるまでに、どのような取り組みが行われましたか?
稲葉 浩幸
そうですね、生命保険の募集を行う際に生命保険の仕組みから説明が行われていました。ですが、なかなか理解はされませんでした。また当時、生命保険自体が高級品だったこともあり、一般の市民にはなかなか手の届かないものだったことも理解されにくかった要因の一つですね。
編集部 鎌田
なるほど……受け入れられるまではかなりの時間がかかっていたのですね。
保険は小説や演劇で取り上げられていた
編集部 鎌田
小説の中で「保険」が題材として取り上げられることがあったようですが、保険の考え方を広めるきっかけとなったのでしょうか?
稲葉 浩幸
まさしくその通りです。保険を巡るさまざまな騒動や人間模様を小説という形で、市民に広く知られるようになりました。
編集部 鎌田
どのような小説があったのでしょうか?
稲葉 浩幸
一例として、須藤南翠の『朧月夜』という小説があります。これは、日本で保険業が始まったばかりのころに保険をテーマとして書かれた小説です。最初は雑誌で連載が始まり、その後書籍として出版、3年間で第4刷まで重版され、大きな評判を呼びました。
稲葉 浩幸
また書籍化だけでなく、当時有名だった川上音二郎が率いる川上一座によって演劇化もされました。今でいうところの2.5次元文化のようなものです。
編集部 鎌田
それほど反響を呼んだ『朧月夜』とは、どのような内容だったのでしょうか?
稲葉 浩幸
物語では、生命保険の裏工作や高額な保険金搾取など、登場人物たちが次々にお互いを裏切り合うといった保険犯罪が繰り広げられます。このように、生命保険を取り扱う多くの小説では、保険を題材にしながら人間関係を風刺するストーリーで、市民からの評判を得て、保険の普及に一役買っていたのではないかと考えています。
編集部 鎌田
人々の興味を引く内容だったのですね。実際に読んでみたくなりました。
火災保険のファイアマークとは?
ここまでは保険の普及についてのお話でしたが、次に保険とともに輸入されたファイアマークについて伺いました。
編集部 鎌田
日本で火災保険制度が普及し始めた際に、軒先にファイアマークが刻印されていたとのことですが、どのような目的で用いられていたのでしょうか?
稲葉 浩幸
ファイアマークは主に、火災保険に加入しているかどうかを確認するために用いられていました。当時は顧客管理が難しかったので、加入者の家屋にファイアマークを取り付けることで顧客を判別していたようです。
稲葉 浩幸
また保険会社にとっても、広告や宣伝として役立っていました
編集部 鎌田
そういった目的で用いられていたのですね。ファイアマークの始まりはいつ頃だったのでしょうか?
稲葉 浩幸
1888年に設立された東京火災という会社が初めてファイアマークを用いました。彼らは創立当初から消防組の設置を計画しており、5年後に実現しました。火災が発生した際には、ファイアマークを目印にして消防組が消火活動していたのです。この姿が、当時の絵でもしっかりと描かれていましたね。
西洋と日本のファイアマークの違い
編集部 鎌田
もともと、西洋で用いられていたファイアマークが日本に持ち込まれたとのことですが、役割に違いはあったのでしょうか?
稲葉 浩幸
日本のファイアマークの使われ方は西洋のものとは少し異なっていました。西洋では当時、公的な消防隊がなく保険会社ごとに消防隊が作られていました。そこで火災が発生した際に、どの保険会社に加入しているか識別するためにファイアマークが用いられていました。
編集部 鎌田
海外では、保険会社が先に消防隊を作っていたのですね。
稲葉 浩幸
そうなんです。その後、各保険会社が手を組んで公的な消防組織が作られてからは、ファイアマークは主に宣伝や広告として見られることが多くなっていきました。しかし日本の場合は、当時すでに公的な消防隊が存在していました。そののちに民間保険の消防隊が結成され、火事の際には両方の消防隊が出動していました。このような消防隊の結成背景の違いから、西洋のファイアマークと日本のものは少し違った活用方法だったと言われています。
編集部 鎌田
海外のほうがファイアマークは多かったのでしょうか?
稲葉 浩幸
そうですね、保険会社ごとに消防隊を持っており、それぞれファイアマークがあったため、海外のほうが数は多かったですね。
稲葉 浩幸
また、西洋では他にもファイアマークが放火防止にも役立ったと言われています。ファイアマークのある家の場合、放火しても保険金が支払われ利益を得てしまう可能性があると放火犯が考えるためです。
編集部 鎌田
一目で火災保険に加入しているかどうかわかりますものね。
稲葉 浩幸
それ以外にも、ドイツやロシアの田舎のほうでは、マークがお守りのようにも考えられていましたね。
編集部 鎌田
本来の目的以外にも、様々な捉えられ方をしていたのですね。
日本のファイアマークデザイン
編集部 鎌田
では実際に日本のファイアマークはどのようなものだったのか教えてください。
稲葉 浩幸
日本のファイアマークは、保険会社のマークがそのままファイアマークとして利用されており、家紋をもとにしたものが多かったです。
編集部 鎌田
確かに、写真を見ると家紋のような形をしていますね。
実際のファイアマーク写真
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※写真は稲葉教授提供のもの
稲葉 浩幸
家紋以外にも、東京火災のデザインは昔、消火活動の際に用いられていた「トビ口」という道具の上に保険を英語で表した「Insurance」の「I」を重ねたデザインが施され、これを「水」という漢字に見えるように作られています。
編集部 鎌田
この頃から英語がデザインに用いられていたのですね。驚きました。
編集部 鎌田
こちらのマークには、酒造と書かれていますね。
※写真は稲葉教授提供のもの
稲葉 浩幸
こちらは当時の酒屋さんが集まり、火災保険を結成したものになります。のちに、日本火災に吸収されてしまうのですが、こういった3本線のマークもありましたね。これらのように様々なデザインが施されていました。
編集部 鎌田
実際に、今も残っているものはあるのでしょうか?
稲葉 浩幸
はい、例として、東京火災のファイアマークは京都の金閣寺の門で見ることができました。実際に撮影した写真がこちらです。
※稲葉教授撮影
稲葉 浩幸
見に行った時は白く色が変わっていましたね。ただ、2023年10月に再度見に行くと、取り外されており見ることができなくなっていました。
その他にも、以下の写真は稲葉教授が実際に見つけられたファイアマークの一部です。
※稲葉教授撮影
編集部 鎌田
桜の模様や星形などもあったのですね。これまで稲葉教授が見つけられたファイアマークはいくつでしょうか。
稲葉 浩幸
実際に現地で確認し、画像に収めることができたファイアマークは合計で78個あります。以下は発見したファイアマークの保険会社内訳です。
稲葉教授が実際に現地で確認することのできたファイアマーク
東京火災 |
29個 |
横浜火災 |
9個 |
共同火災 |
9個 |
日本酒造火災 |
7個 |
大阪保険 |
5個 |
明治火災 |
5個 |
日本火災 |
4個 |
福寿火災 |
3個 |
大阪海上 |
1個 |
浪速火災 |
1個 |
帝国火災 |
1個 |
日本動産火災 |
1個 |
内外火災 |
1個 |
日宗火災 |
1個 |
東洋火災 |
1個 |
稲葉 浩幸
関西エリアを中心にフィールドワークを行い、大阪を拠点とした保険会社のファイアマークも多数見られたのですが、その中でも東京火災が多く、全国的にシェアが多かったとみています。
編集部 鎌田
すでに100年以上経っているにも関わらず、これだけの数が形として残っているとは驚きでした……。
ファイアマークはなぜ使用されなくなったのか
編集部 鎌田
これまで使用されていたファイアマークは、いつ頃から使用されなくなったのでしょうか。
稲葉 浩幸
約1907年頃から使用されなくなってきました。理由はそれぞれ保険会社によって事情はあるのですが、1つは契約件数が増加してファイアマークを付けることが煩わしくなってしまったことが挙げられます。
編集部 鎌田
確かに、手作業であのマークを付けていたと考えると手間がかかりそうです……。
稲葉 浩幸
日露戦争後の好景気がきっかけで、契約件数が4万件から6万件に急増しました。その結果、ファイアマークの設置が難しくなったと言われています。
稲葉 浩幸
もう一つの理由としては、1909年に東京火災の消防組が廃止され、公的な消防機関の整備が進んだことです。
稲葉 浩幸
ほかにも、ファイアマークを取り付けることにより、木材を痛めると苦情が起きたり、ファイアマークが取り付けられることでどの保険に加入しているかがパッと見て判断できてしまい保険会社間の契約争奪になってしまったりとファイアマークの必要性が薄れていくことにより、使用されなくなっていきましたね。
編集部 鎌田
そういった歴史的背景があったのですね。
稲葉 浩幸
そうなんです。保険というのはその時代を映す鏡とよく言われます。鏡に映った姿を観察していくことで見えて来るものがあり、それがやはり保険の歴史というのを研究する面白さであると考えています。
編集部 鎌田
本日は貴重なお話をありがとうございました。
まとめ
今回は、近畿大学の稲葉教授に保険がどのようにして日本で広まったのかについてお話を伺いました。
今回のインタビューで学んだこと
- もともと日本には「無尽講」や「頼母子講」といった保険に似たシステムがあった
- 現代の日本の保険の考え方を最初に持ち込んだのは福沢諭吉(考え方は欧米から持ち込まれた)
- 当時(明治時代)は、保険という概念が広まるまで時間がかかった
- 当時の小説や演劇が、保険の概念を広めるきっかけの1つになった
- 火災保険が普及し始めたときに加入者の判別として「ファイアマーク」が用いられていた
- ファイアマークは次第に必要性が薄まり使用されなくなったが、今でも建物に残っているものがある
保険の考え方が広まるまでにかなりの時間と苦労がかかったことや、保険を題材とした小説が世間に保険を広めるきっかけの一つであった点はとても興味深かったです。
また、ファイアマークについて100年経った今でも街中に残っていると知り、驚きました。
ぜひ、皆さんもファイアマークを探してみてはいかがでしょうか。